ひとりで幸せになれるか知りたい

お昼の社内ミーティングで、ある人が「私事ですが……」と婚約報告をした。

みんなが口々に「おめでとうー!」と声を上げていた。

 

「○○さん結婚するんだなあ」と思ったと同時にぞわぞわ這い上がる不安。

 

結婚する人が増えていくと同時に、自分が「結婚しない・できない人」であることが浮き彫りになる不安だ。

 

わたしは結婚願望は強くない。

20代のころは、そのうち素敵な人と出会って結婚するんだろうと思っていたが、自己肯定感の低いわたしは、素敵な人と出会って恋愛に発展することも難しかった。

 

20代後半でやっとできた彼氏とは4年ほど付き合ったが、お互いが結婚する決意ができず別れた。その頃から、結婚って面倒くさいと思っていた。

 

何が面倒くさいって、名前を変えたり、それに付随する手続きをしたりするのが面倒くさい。できるだけそういう面倒を先延ばしにしたい、なんならだれかやってくれと思っていた。

 

また、自分の人生に制約が生まれそうで怖かった。結婚したら、奥さんとして相手の人生も自分の人生のつもりでサポートしなきゃいけないだろうとか、もう他の誰にもときめいたりしてはいけないだろうとか。「相手が大切だからそうしたい」ではなく「大切な人だけどそこまでは……」と思ってしまった。

 

その原因は、子ども時代にあるのかなと思う。

両親は幸せな結婚生活を送っておらず、わたしが成人後離婚した。家族、という形ではあるけれど、仲良くないのが当たり前だったので、友達家庭の仲の良いご両親のエピソードは、フィクションの小説みたいで不思議だった。

うちの家族は協力し合い支え合うもの、というよりはひとつの枠組みに組み込まれているけどそれぞれ暮らしている人たち、という感じだったから、実家にいたときから「ここではないどこかに、もっと快適な場所があるはず」という思いがずっとあった。

 

交際・同棲をしていた彼と関係を解消した後に見つけたその場所は「一人暮らしの部屋」だった。

だれに気を使う必要もなくて、好きなように過ごせて本っっっっっ当に快適。

同棲していた元彼はとてもとても気を使ってくれる人だったが、実家にいたときから家に自分以外の人がいるのをストレスに感じることがあったわたしは、ひとりになったときの解放感にびっくりした。

細かいことでいうと、彼氏と暮らしていたときは、清潔を保ちたいけどどちらかに負担が偏るのは避けたくて、二人で週1回掃除していたが、一人になったら自分の汚れは自分の好きなときにきれいにすればいいか、と気が楽になった。

わたしはこの経験から、人と一緒に過ごすことが得意ではないということに30過ぎてやっと気づいた。

 

恋愛においては変に空回ってしまうへっぽこレベルで、「この人」と決めきる決断力もなく、人とずっと一緒にいるのが苦手なわたしは、まごうことなき「結婚しない・できない人」だろう。

だからといってその生活も悪くはない。時々発生する恋愛もどきみたいな人生のお土産も食みながら、結構楽しく過ごせている。

それなのに不安が消えないのだ。

 

だから、この不安は何ぞや?を深堀してみた。

発生タイミング:

  • 他の人が結婚したとき、結婚しそうなとき、出産したとき

不安の内容:

  1. 自分はだれからも求められない人間かもしれない
  2. 急に来る寂しさや孤独もずっとひとりで耐えなければいけないかもしれない
  3. この人は結婚できないかわいそうな人と他人や友人から思われるかもしれない

不安の内容を分解したら、こうしたらいいかもが見えてきた。

 

1. 自分はだれからも求められない人間かもしれない

自己肯定感の低い私はこの思考になりがちだ。この思考とは長年付き合ってきたから、これに対しての答えは知っている。

「誰から求められるとかではなく、自分が自分を必要とすることが大事」

だから、目を閉じてもうひとりの自分を隣に思い描いて「わたしがいないと困るよーわたしに一番幸せになってほしい」と言ってもらう。空想の自分は、親身になって冷静に考えを整理してくれる。

わたしがちゃんとわたしを求めている。

 

2. 急に来る寂しさや孤独もずっとひとりで耐えなければいけないかもしれない

一人暮らしをしていると、わけもなく急に寂しさが襲ってくるときがある。あれはまじでシュンとする。

そういうときに、ついやってしまうのが、結婚した友だちを思い浮かべて、幸せに暮らすあの子ならこんな気分にはならないんだろうな、と考えてしまう。

でも冷静に考えると、そんなこともない。結婚してても寂しいときやつらいときはあるかもしれない。結婚しているが故の孤独もあるかもしれない。なのに幸せそうな人と自分を比べて落ち込んでしまっている。

自分を落ち込ませているのは自分だ。

急に来る寂しさや孤独感の原因は分からないけど、それを自分で増幅させないで、好きなことで気を紛らわせてあいつらが行ってしまうのを待とう。

 

3. この人は結婚できないかわいそうな人と他人や友人から思われるかもしれない

人から下に見られるのは恥ずかしいし怖い。それは「結婚している・していない」で相手への見方が変わってしまう、自分の固定概念の裏返しだと思う。

例えば、寡黙でちょっとダサい男性がいて、独り身っぽいな~と勝手に想像してしまっていたとする。そうすると、「焼き鳥の缶詰が好きで~」みたいな話を聞いて、焼き鳥缶を晩酌のおつまみにしてひとりで飲んでいる姿を想像して勝手に哀愁を感じてしまったりする。その人が実はパートナーがいることが分かったりすると、「なんだ全然寂しくないじゃない!」と安心する。

わたしの固定概念に「結婚してない=寂しい」が刷り込まれてしまっているのだ。

また、わたしの友達は結婚に価値を見出している人も多い。

仲の良い友達はずっと結婚したいと言っていて数年前にやっと結婚した。付き合っていた彼がプロポーズしてくれないからと別れて、数年後別の彼と結婚した彼女は結婚というゴール(目的)に対して貪欲だった。飲みの席でもしばしば「誰とも結婚できなかったらどうしよー」と言っていた彼女は、たぶん「結婚できる」ことはひとつの価値だと捉えているんだろうなと思った。

たしかに「結婚できる」ことは能力だし、価値があるということだ。それが自分でもわかっているから、結婚できない自分を見て友人は「かわいそう」って思うんじゃないかと不安になってしまう。

そう、お分かりになっただろうか。ほとんどが私の妄想だ。

誰もわたしのことをかわいそうだとは言ってない。それなのに、そうなるんじゃないかと、苦しんでいる。わたしを不安にさせているのは、社会や他人の考え方はこういうものだと勝手に決めつけているわたし自身だ。

 

1、2、3通して、不安を作り出しているのは自分だと気づくことで、この不安はコントロールできるんだなって分かった。

 

最後に

「結婚できる人」は価値のある人だ。それと同様に「結婚できない人」も素晴らしい価値のある人だ。自分の周りにも(いっぱいではないが)数人いる。

「結婚できない」のは「文章が上手く書けない」や「プレゼンテーションができない」と同様に、誰にでもある苦手なことのひとつだ。

苦手なことがあっても、自分の得意なことで自分を幸せにしていけばいい。

 

まるで最高の親友のように、自分に寄り添って、甘やかして、得意なことをほめていってあげよう。